鑑定の限界と鑑定者の人間性
世の中には色んな人がいます。
どんな人にも失敗はあり、どこでその失敗を直視して正しい修正を加えるかが重要です。
その道のベテランでも、その得意分野で新しい発見があったり、知らなかったことに出くわすのも何ら珍しいことではありません。
しかし世の中には知らないことを正直に知らないと言えない人が案外多いもので、落語のネタにも転失気(てんしき)というのや、鶴や薬缶の名前の由来の話というのがあります。誰しも大なり小なり身に覚えがあるあたりの笑いのさじ加減が落語の面白さです。
で、この業界を見ていると、霊視霊感を謳い文句に結構な人気を集めている人物に、その手の「正直に言えない、修正が出来ない」タイプの人を見かけます。
私は業界側の人間ですから、いくらかは同情すべき点も無くはないです。ご相談に来る方々の中にはかなり深刻な内容で、ご本人が相当テンパってしまっている様なことが多く、何とか打開策が見つかればいいけど…とついつい鑑定者が無理をしてしまうケースです。
でもね、鑑定者は魔法使いじゃないんですよ。また、とてつもない超能力なんてのも人間の世の中には存在しません。小さな気や念が束になって大きな結果に繋がることは実感することもありますが、それとて魔法や超能力みたいな世界のことではなく、現実の努力に加えてツキが後押しした様な範囲内のことです。
私はなるべくそういう勘違いをして欲しくないと思ってはおりますが、人間どん底に陥ると何かにすがりたくなる気持ちもよく分かります。
だからこそダメなものはなるべくハッキリ言う様にしているのですが、どこかに凄い本物がいりはずだとばかりに占いジプシーになってしまう人がいるのも確かです。
そんな時に何か…実は大勢に影響の無いこと…を当てられたらどうでしょう?もしくは何かかけ離れた世界のことを言われたらどうですか?
そんな鑑定者を頼ってしまうのも無理もないと思いますし、そういう手法を故意にやるのはダメだろ、と私は考えます。
その場は不興を買おうが、ネットで悪口書かれようが、依頼者を依存症にさせない様に努力する姿勢を見せているかどうかが、鑑定者の人間性でしょう。
私にも苦い経験があります。当ててしまったが為にかえって気の毒なことになってしまった…ということがありました。
当たんなきゃ良かった、と心底思いましたし、自分の中では大きな教訓になっています。
先日面白そうだったので、客の立場でワンコイン霊視を頼んでみました。なかなかうならされたのですが、何にうならされたかって、
・確かに霊感と占術である程度のことは言えるが、自分に出来る範囲のことはわきまえていらっしゃる点。
・何かもの凄いことを客に期待させる様な物言いはなさらない点。
・そして何より安い点。
この3点です。要は良心的な鑑定者さんだったということです。当たった外れたにうならされた訳じゃありません。
一方で、あまり詳しくは書けませんが、おいおい…という鑑定依頼を先日受けました。
私の本来の鑑定の範疇じゃありません、と前置きしつつ、自分に言える(分かった)ことだけをお伝えしてお金は頂きませんでした。
誰か別の鑑定者の所へ行く風でしたが、大丈夫、上手くいく等とデタラメなことを言う占い師だか霊能者だかに行き当たらないことを願っておきます。
占いファンの皆様におかれましては、いい鑑定結果を言われても、それが現実的に何がどうなったら上手くいくのかを必ずご自身でシミュレーションしてみて下さい。
そして切羽詰まって絶望的な感覚の時ほど、最悪を回避するには?という視点を忘れないで下さい。望む結果を得よう、ではなく、最悪や大難を回避するという考え方です。
そして、人気や評判の霊能者でも占い師でも、その人の振る舞いで不審な点や、言ってることに重大な矛盾があれば、その部分は冷静に見ておいて下さい。(言うことが少し変わった、とかのレベルではなく)
亡くなられた織田無道氏が、テレビで人気があった頃のことはヤラセだよ、と後に語っておられました。色々言われていますが、正直に批判を恐れず実態を語った点は評価していいと思います。晩年に正しい修正を加えただけでも、だいぶマシというものです。
鑑定スタイルには鑑定者の人間性が結構滲み出ているものです。能力があっても人間性に問題がある鑑定者にはご用心下さい。霊視も命占も出来なくても分かる部分です。ご自身が感じた部分を親しい人に客観的に聞いてもらうのも手ですよ。