占いを賢く利用するには

詐欺ではないにせよ

詐欺という言葉の法的な意味については、詳しい人にお任せします。

本日は「誤解や間違った期待を抱かせるのは、やっぱりダメだと思うよ。」というお話をさせて頂きます。

霊視霊感の類いに「お悩み解決」的な売り文句を匂わせるケースがあります。

果たしてこれ、どうなんでしょうか?

神性みたいなのを匂わせて、不思議な力で悩みを解決してくれる人、みたいな誤解を誘発してないでしょうか?

そういう誤解をした人は、苦しい悩みを抱えると、色々なものにすがろうとした結果、

・噂のA先生はダメだった

・ネットの口コミで見たB先生もダメ

きっとどこかに本物がいるに違いないと次々と渡り歩くことになります。そういう人の心境は察するに余りあるものがありますし、一歩間違えたら過激な行動に出かねません。

だからこそサービス提供側は、占いにせよ霊感にせよ、特別な何かを期待させてはいけないのです。過激な判断をしてしまわない様に、自分がワンクッション役になれるかどうか、と常日頃から考えておく必要があります。もちろん魔法使いじゃありませんから、何でもクッションになれるはずもありませんが、クッションというのは問題解決をしてくれる正義の味方ではありません。

 

まず、基本的な原理原則は、

人間の世の中は人間が作った仕組みやルール、思考回路などで動いている。

というところに立ち返ってみて下さい。

友達や家族、その他知人、行政機関やそれに準ずる様な組織などに相談してみて、何ともそれはしようが無いことであれば、不思議な力でお悩み解決してくれそうな人に解決することは出来ないと思っておくことです。

その腹を括った上で利用してみて下さい。マトモな鑑定者なら、そんなウルトラCみたいなことが起きると期待させることは絶対言いません。

 

何故こんなネタを取り上げたかと言いますと、お正月は初詣、時期的には受験の合格祈願のシーズンを迎えるからです。

大勢の人たちが神社やお寺にお参りする時期です。様々なお願い事があることでしょう。そんな場合でもやはり人事を尽くすのは大切なことですし、人間界の仕組みに則った堅実な考えというものがあります。

神と繋がる高い霊性を持つ真の霊能者がズバリお答えします、なんて話を聞きに行って、「大丈夫、合格します。」なんて言われても無意味ですから。

本物だったらここを見るはずです。

「この人、やれば目標に到達出来る力を持っているかな?」

あると看破したら、そこからは現実的なアドバイスにプラスアルファでA神社やら●●寺にお参りに行ってみて下さい、というお話をするでしょう。ちょっとしたパワーアップの方法を教えてくれる人もいることでしょう。

これは他の願い事でも同じことです。今年は良縁に恵まれます様にと願っても、人から好かれるということが如何に難しくて貴重なことか、という感覚が抜け落ちていたり、誰か本物の霊能者なら繋いでくれるんじゃないかとか、そういう考え方では上手くいくはずがありません。商売繁盛でも健康祈願でも同じことですが、何やら最近誰が言い出したのか、神社はお願い事をするところではない、という謎の話がまことしやかに流れていますね。ハッキリ言って意味不明ですし、誰が言ったんでしょうね?受験シーズンになると大勢の人たちが合格祈願に行くので有名な湯島の天神様や北野天満宮太宰府天満宮etc.に何か怨みでもあるんでしょうかね?訳の分からない話もあったもんです。

 

私見ですが神社仏閣でお願いして叶ったと思ったら、少しでも世の為人の為か、その神社やお寺に還元する心を持っていて欲しいな、とは思います。

真の霊能者然とした物言いで、本物はお見通しだの、真の力で祈願成就出来るかの様な期待を人々に抱かせるのにロクなものはありません。

原理原則は

「何事もやってみないと分かるもんか。達成出来る力はあっても、掴むのは当の本人だ。一方で最初から無理筋の話は、それなりの結果にしかならない。」

ですからね。

私の知る人で、あることがキッカケで猛勉強する様になり、かつての自分なら願書出す気にもなれなかった大学に合格した人がいます。おそらく皆様の周りにも似たような人はいるはずです。こうしたケースは自分にその力があったことに、後で気づくパターンです。

誰でも彼でも東大や京大に受かるとか、そんなトンデモ話をするつもりは毛頭ありませんが、頑張れば手が届く範囲のことは変えられます。

不倫相手が離婚して自分の元へ来ます様に、てな願い事が何とかなるかの様なことを安易に言うビジネス霊能者は、もうそんなスタイルは通じなくなる日が来ると信じたいです。ハナから厳しい話に期待を持たせて、後はどうなろうが知らん顔というのは、詐欺ではないにせよ罪作りな話だと思います。

逆に利用者も気に入らない鑑定結果に噛みつくのは、結局ブーメランとなって返ってきます。見立てた結果を正直に言う鑑定者がいなくなりますし、そもそも占いや霊視の当てもの未来予知などそうは当たらないと思っておくことです。その時に短気起こさないで済んだのなら上出来でしょう。

Aさんと一緒になれなかったら死んだ方がマシだぁ!とその時は思い詰めて、占い師なり霊視の先生なりに「大丈夫」と言われてその場は安堵し、時間が経過するうちにどうも何か違うな、Aさんは自分にとって本当に不可欠な人か?と考えが変わり始めたら、結局ダメだったとしても「まぁいいや。」と思えることでしょう。大丈夫と言った占い師や霊視の先生は、自分がその冷静さを取り戻す為の時間稼ぎをする役割を(本人達は分かってはいないけど)果たしてくれたんだな、と考えればいいのですが、それは皆さんが自分の心の中で整理すべきことです。

私はそんなのは人には勧めたくありません。「全てお見通しの高いレベルの本物」やら「願いが叶う秘術」なんて、お菓子の家やら幸福の青い鳥と同じだとつくづく思います。前回の「私の明日の夕食」を思い出してみて下さい。人間の世の中の道理理屈で答えられない様な主張や御説、鑑定はまがいもの、と言って悪ければ空論でしょう。