占いを賢く利用するには

占いは科学か②

では前回の続きと参りましょう。

命占は統計学ではありません、というのが私の思うところだと記しました。一方で占いは科学か?という問い掛けには Yes だと思うとも記しました。

科学というのは何も理系の学問のみを指すものではありません。

例えば「歴史学は科学か?」という命題に関して、歴史学者の方々は Yes と答えるケースが多いと思います。理由は、伝承や文献、遺物から推測し得る仮説が正しいか、そもそもその文献は本物だと言えるのかという検証を慎重に行い、その上で理論を構築するからです。統計学とは無縁ですが、科学だと言えます。

 

例を挙げると「上杉謙信女性説」というのがあります。知的好奇心を満たす歴史話(学とは言いません)であれば、まあ、好きな者同士がああだこうだ言ってればいい話です。ではこれを歴史学としてみるならどうでしょうか?上杉謙信は実は女性だったのではないか、という仮説を立てるに至った動機が無くてはなりません。この場合ですと、上杉謙信が合戦の場では常に勝つという願をかけるに際して、よくある断ちものをしました。酒断ちや賭け事断ちなどはよく聞く話です。上杉謙信は生涯不犯の誓い、つまり女断ちをしたと後世伝わっています。だから生涯独身だったとされている訳ですが、そうしたことが記されている文献の信憑性は高いことを検証した上で、じゃあ本当にそんなことが出来るのか?昔から英雄色を好むって言うじゃないか。ただ独身だっただけの話ならあり得るだろう。子供の頃寺に預けられてたし、出家もして景虎から謙信に名前も変えてるからね。しかし断ちものとなると話は別だ。そんな断ちものを一生なんて出来るもんかい、だからそもそも上杉謙信は女性だったんじゃないのか?というのが仮説を立てる動機です。歴史学アプローチであれば、上杉謙信が女性だったことを推認するに十分な文献や遺品などを調べる訳です。街頭アンケートで「あなたはどう思いますか?」なんてデータを集めての統計学的手法は全く関係無い世界です。

他にも上杉謙信女性説を唱える動機になる話は色々ありますが、合理的に上杉謙信が女性だったと推認するに十分な裏付けはどれも無いから、あくまでも歴史好きの人達の間で囁かれる話の範疇を出ない訳です。

科学と世間話とはそれくらい違う訳です。

で、命占は統計学だという主張は、この上杉謙信女性説に似ている、つまり世間話のレベルな訳です。

では上杉謙信ネタが出たところで、上杉謙信が単騎武田信玄に斬りかかったとされる川中島の合戦について述べてみます。

上杉軍は妻女山に立て篭もり、武田軍は山本勘助の献策により軍を2手に分けて妻女山の後方から攻撃(啄木鳥戦法)しようとしたが、夕方の武田軍の飯を炊く煙を見て、武田が動くと確信した上杉謙信は夜中のうちに妻女山を降りて、武田軍の本隊に…という、鞭声粛粛 夜河を過る の歌詞にある有名な話があります。

しかしこれ、日本史学者が学生のエキストラを使って妻女山に合戦の道具と同等の荷物を背負って登り、そんなことが可能だったかを実証したことがあるそうです。結果は不可能ということだったそうです。この検証結果は科学です。歴史学という学問です。しかし世間話としては、川中島の合戦に関する逸話は今も有名なままです。

この日本史の学者さんが採った手法こそが、命占における仮説と検証の見本だと言えます。

だから占い師のブログには、それぞれが自分が検証した結果と、古典の理論を融合させたものをよく見かけませんか?この日本史の学者さんがチャレンジしたのと手法としては同じです。

これなら同じ命式の人を何人か集めて、一生を追跡してデータを収集するなどという統計学」の手法は必要ありません。

陰陽五行の考え方や、天体の動きや、数字が持つ意味の法則性みたいなものと融合させて、理論として作っている訳です。そしてその命占の理論は時代と共に成長したり変化したりしていきます。これが最終完成形だ!というものは無いと私は考えています。

 

ちなみに私、上杉謙信に係る歴史好きの人達があれやこれやと仰る歴史世間話は面白いと思いますし、そういうのは人生を楽しむツールとして有効だと思う感覚は持ち合わせております。

ただ、世間話のレベルで命占の科学としての面を面を全否定したり、茶化したりする話には乗れませんし、間違いだと指摘します。

ではどういうのが間違いなのでしょうか?

それはまた次回ということで、、